subbustoonの日記

上腕骨骨幹部骨折したこと書いてます

骨折 4日目 

術後1日目の朝

“◯◯さん、おはようございます。検温しますね~”
“ん、、はい”

そんな風に朝がはじまった。
検温と指のやつと。血圧。異常なしだった。
今朝は血液を採られた。肘には点滴やらのがついていたので、手の甲の親指の辺からだった。この辺はつられる感じで内ひじより苦手だ。

足にはマッサージみたいのがまだ動いていて、尿管には管が。左腕には抗生剤や点滴?の管が繋がっている。

右腕(上腕)を術着から覗くと、ピタッとしたテープが貼られている。肘上のところもテープみたいなのが貼ってある。もっとガチガチに固定されて、ぐるぐる巻きなのかと思っていたけど、意外にもあっさり。痛みは痛い。喉は全くかわりなくかすれ声や痛みもない。怖がってたが、これまた記憶がない。先生の言ってた通りだった。

それから足のマッサージのを外し、尿管の管も外された。歩いてトイレに行けるようだ。ちょっとしてまた、採血した。先ほどのが何か(点滴か抗生剤か)混じったらしくもう一度だった。今度は足の甲から。ここは初めての場所だ。痛いかな~と思ったけどチクってしたくらいで普通だった。点滴用の針もとり、身体が自由に。右腕以外。

その後、朝食が来た。リクライニングでおきあがり、身体も動くので、ゆっくり左側のベッドの端に座る形で食べることにした。ズキンズキンなりながら。でも動かなきゃ身体が鈍る、と思って。希望通り、パンだ。食パン、りんごジャム、牛乳、野菜スープ、温野菜、肉、フルーツ。ただ、今朝は全く食欲が無い。なんならちょっと気持ち悪い。朝方寝ながらちょっと気持ち悪いなーって。でも何となくだし、薬のせいか~くらいに思っていた。とりあえず左手にパンを持ってみるが全然いらない。フォークに野菜さすが、やっぱり食べれない。スープ半分と温野菜少しに手をつけただけで、ご馳走さました。

その後タオル、パジャマの補充、掃除の人がきた。補充してくれる人に

“あら、血がついちゃってるね。着替えましょ。お手伝いするね。ちょっと待っててね”

あー、優しい。ありがたい。一人じゃ着替え無理だし。
そして、先生も来て、改めて終わったことと体調やら腕をみたりがあり、薬の追加説明があった。ロキソニンと胃薬の他に鉄剤+ビタミン剤が追加されることになった。どうやら、貧血らしい。通りで、気持ち悪いしクラクラッとしたはずだ。そうそう、忘れてはならない。以前、妊娠したとき6、7ヵ月だったか貧血と診断され鉄剤を処方されたのだ、たしか粉だったかな。飲んだその夜豪快に吐いてそれ以来避けていた。あの時は食べ物と飲み物でギリギリ何とかなったが。今回は避けられない。で、先生に相談したら、今回は錠剤で、水をたっぷり飲むことだ。と教えてもらった。とにかく水をたくさん飲むんだ!とインプットした。

午前中はリハビリ師がきて、まずはグーパー。
ゆっくりやってみる。ボワッとするが出来る。そして、付き添われ立つ、座る。立つ。入り口まで歩く。立ちくらみが起きそうだったが、直ぐいつもの感覚を取り戻し歩く。そして、終了。午後に少し院内をあるくそうだ。

昼ごはん。相変わらず食欲はないが、食べて体調を戻さないと!と思い、無理やり食べた。いらない感じでも、口に押し込んで水たっぷりのんだ。油っぽいものがむりで、半分は残してしまったがあとは食べきった。やった。そして、恐怖の鉄剤。水たっぷり。薬飲むときだけで500のペットボトル半分以上は流し込んだ。お腹たぷたぷだ。

午後、リハビリ。早速歩く。おしゃべりしながら歩いていく。階段で下の階へ、また上がる。“大丈夫そうですね”そうなのだ。腕以外全く普通、元気なのだ。

おわったら、やることもないのでラインをしてみたり。が左手なため、やたら時間が。打ち間違え多数。直す気力ほぼなし。そうだ、水を買いに1階の売店まで行こう!リハビリがてら。水500のペット4本と、からだふき購入して、安心。

夜ご飯の時間になる。すっかり食欲が出てきた。いつも通り普通に食べれた。少し小さくなっていたであろう胃がすっかり戻った。良かった。薬もあるし水飲もうとペットボトルをだしーーー。なんてことだ!ふた開けられない。後で誰か来たらあけてもらお。薬はお茶で。

さて、消灯になるまでゆっくりしよ。ベッドの上で身体の向きをかえ座ってテレビ見る。ラインする。

“あっ”。

携帯の充電器落とした。ベッドの下だ。ベッドからおりるが、しゃがめない。あー拾えない。もう、いいや、明日誰かに拾ってもらお。

消灯。

寝よ。

骨折 3日目+

いざ、そして。

“おなまえは?”
“◯◯です。”
”これからする手術はどちらの腕ですか?”
“右”
“はい、では行きましょう”

扉というか隔てていたのがスーッと開き、オペ室の3人に連れられオペ室に入った。なんと、中にはさらに6、7室?もっとだったかオペ室があった。眼鏡を病室に置いてきたので確かな数は定かでないけど。そして、5とかいてある室内に案内された。

またしても扉みたいなのがスーッと開くと低めのベッドとその周りには10人くらいかなー、いた。
ホントに眼鏡があればもっと見たんだけど、0.02とかの視力なため、30センチ先はすでにほぼ、ボヤボヤとしか見えない。それにオペ室ってだけでも圧倒されていた。

言われるがまま、ベッドに。

“じゃ、ゆっくりこっち向いて横になろうかー。”
“ひー、痛、痛、ふーっはっぎゃーー”

折れてる腕を上にしてベッドに横向きになんて出来るわけなく、途中から先生や若者の助手?達が支えてくれて、なんとか横になれた。“痛いんだからこっちにするんだよ、そう!こうしなきゃ、そう。◯◯さん、もうそのままで大丈夫だよ~。”など若手に指示をしてる先生をよく見るとさっきの麻酔について説明に来てくれてた麻酔科の先生だった。何か、雰囲気が違った。医師って感じだ。若者にも激しめの口調で指示して。おーっ先生恐っ。けど、私にはと言うか患者にはとてもソフトな口調で痛みわかってるよ、ってかんじで接してくれた。何度もやってるからわかってるのかな~。

“まず、ブロック注射するね。指先まで冷たいのが入ってく感じだよ。もし、指痺れたらすぐ言ってねー。止めなきゃいけないから。で、この辺、首の横の方ねー、ここらから入れるけどちょっとチクってするからねー。”

と、また若手に“違うだろ、そう、そう。”と言いながら何度か首から肩のあたりを探りながら“ここだな、よし、よしここでいこう、いくよー”と慎重に始まった。”あー、確かにチクって、あー、何か冷た、あー、凄、指にきたー”その間、先生は少しずつ流し“大丈夫?痺れてない?”と確認しながら進めた。指の方にきた時指先がボワーッとなったのでそれは言ったけど“ここは痺れる?ない?大丈夫だ”と、やめることなく終わった。打った後と前の違いはボワッとするくらい。まぁ緊張してるし、よくわからない。この間も、若手が私の身体を支えてくれていた。で、そのままゆっくり仰向けになり酸素マスクをあてられ

“はい、じゃあね、ゆっくり眠くなりますからね。ゆーっくり呼吸してゆっくり”

それから2、3回呼吸したのを最後に眠ってしまったようだ。記憶がない。


次目を覚ましたときは、もう病室のベッド。誰かに
“手術終わりましたよー。旦那さん先ほど帰られましたよー。”と言われたのは覚えている。そして、また、眠ってしまった。ガサガサっという物音と、抗生剤を替えているのかそんな人の気配で目が覚めた。辺りは暗かった。今度は腕がジンジンとして痛みがあった。静かで夜かな。足にはマッサージみたいなのが付けられていた。確かエコノミー症候群にならないよう血栓が詰まらないようにつけます。と言われたな。感覚が戻ってきたのか、薬がきれたのか。とりあえず、眠ろうとしたが、痛くて寝れなくなった。点滴か何か替えていた看護師さんが

“どうですか?”
“痛いです。痛み止欲しいです”

点滴だかと一緒に入れてくれたのは直ぐに効いてくる。楽になる。そして、また眠った。次気づいたのはまだ、夜中っぽい。目が覚めるたび痛みがくる。看護師さんに

“すみません、また痛み止いれてもらえますか?”
“あ、今日の分終わってるな、ちょっと確認してきますね”

“じゃ、この痛み止飲んでください”

もう、水飲んでもいいみたいだ。気づけべ仰向けで普通に寝ていたので、起き上がるのかー なんて思ったら、看護師さんすかさずリクライニング起こしてくれて、ペットボトル渡してくれました。飲む痛み止(ロキソニン)は30分ぐらいで効いてくるらしく、飲んでリクライニングごと横になり、ゆっくりまた眠った。

骨折 3日目

手術当日

“本日13時30分より手術予定です。
前の人の手術次第で時間は前後します。
手術中誰か来ますか?”
“旦那さんが来ます。”
“わかりました。では少し早めに来てもらってくださいね。”
との事。

6時起床で薄暗いカーテンのなか、朝の検温と血圧と指にはめて何かを計るのをする。何かは忘れてしまった。

朝食がないのでぼけーっとする。
部屋のカーテンも開き、部屋のライトもついて明るくなる。いい天気っぽい。
何となく落ち着かず。しかし、痛い。相変わらず痛い。

9時過ぎ頃、麻酔科の先生がやってきた。昨日先生がいなかったからか、この時麻酔の詳しい説明がされた。今日の麻酔担当の先生が、麻酔に関して、全身麻酔だということとか、差し歯がどうとか、チューブ入れるとか、抜くときちょっと気になる方もとか、合併症がとか色々。その抜くときの話で一気に恐怖心が。

“えっ!?、わ、私おえっって成りやすいんですけど。”
“あー、大丈夫というか、皆さん気づかないうちに抜いてしまいますから。意識戻るくらいのところで声かけてぬくんですよ。後で話聞くと、”気付かなかった”という方がほとんどですよ。”

そーなんだ。と。さらに

“ブロック注射ていうのは首の横辺りから打って痛みを遮断するもので、したほうが術後の痛みが全然違うから打った方がいいんだけどね。ホントに全然違うから、打ちましょうね。”
“はいっ。”
“じゃ、これらの書類のサイン、んー旦那さんかな?いらっしゃったらもらいますね。ではまた後で。”

そんなに言うんだから違うんだな。ホントにおえっってなんないかな。と もう、そんな思いで。そして、忙しそうに、でも普通に先生は去っていった。それからは、

“今のところ予定通りですよ~”
“少しはやくなるかもです~”
“30分くらい早まりそうです~”
“そろそろ手術着に着替えてくださいね~”
“術前トイレ最後行ってくださいね~”
“旦那さんまだ来ない?”

そう、看護師さんたちは麻酔書類の同意書にサインをもらわなくてはいけなかった。こちらも焦りラインするも既読つかず。電話したら、早まったライン見てなくて“すぐ来て!”の会話の5分後病室到着してました。

“焦った。チャリ3分でこれたよ。”

早っ。ありがとう。となる。

13時頃。
担当看護師さんに連れられ歩いて下の階の手術室と廊下の間の空間へ。看護師さんとはここの入り口でさよなららしい。ここから先は医師やオペ関連の人しか入れないそうだ。そんな空間で急に思った、

“こ、こわー。”

思わず素直なきもちを呟いていた。すると看護師さん、

“大丈夫ですよ、ここで待ってますからね!”

そんな言葉だった。そう、不安が去ったというか。味方だ、というか。心強いとはこの事か!と感じた。なんていうか、1人じゃない感じ?帰ってくるよ?的な。とにかく“うん、よし行ける、待っててくれる、行こう!”と。

骨折 2日目

入院

朝10時に病院へ。

そう、この骨折をしたのは2020年2月。コロナが騒がれはじめ、ちょうどマスクがどこにも売っていない!手に入らない!となりだした頃。でもまだこの時、病院では1枚50円で自販機で販売していた。それに病棟、病室へは付き添いも、お見舞いも誰でも来れた時だった。

シャワーを浴びてきてください。とのこと。
家で朝からシャワー。2日ぶり。腕固めてテーピングだらけの為、ラップ巻いてスーパーの袋穴明けて被せてタオルのっけて。半身になりながら浴びた。頭は洗ってもらいさっぱり。思えば、やってしまった日、コンタクトも苦労した。ハードレンズの行方を気にしながら外し、保存液に浸して。ほんと片手不便。それも利き手じゃないし。洗顔もできてんだか何だか。だから今朝のシャワーはちょっとさっぱり。

そうだ!長袖インナーシャツ、汗吸収してくれるいいやつだったけど、テーピングぐるぐるでとれないしで、“もういい、切る。”と、ざっくり肩口から切ってやった。もったいなかったなー。

入院病棟に着くと、ナースステーションのとなりにある共用の場所デイルームで、4人部屋の場所や担当者などの説明。早速、テレビカードを買い、看護師にパジャマに着替えさせてもらったりしてベッドに落ち着く。自分じゃホントに何もできない。テレビカードで冷蔵庫も電源が入る仕組みでへぇー“”だ。と言っても何もいれてないけど。

何年か前、声帯のポリープ手術をした時も思ったが、みんなカーテンをずーっと閉めっぱなしだった。今回もみなさん閉めっぱなしだ。自分のベッドは廊下側なので、全く外が見えず日差しも入らず。カーテンも閉めっぱなしだから余計に孤立した感が。

とにかく楽に座れるベスポジを模索することに。少しでも腕が縮むと激痛。だから伸ばしっぱなし。結果、リクライニングだったので半分起こす。右手は、ベッドに接触しないようにほぼ直角に座るようにしてベッド横に。それも辛くなると、足と足の間や、右太ももの上にそっと置いてみる。角度がつくたびギャー!となりながら。と、まぁ右手の置き場が安定しなくて辛かった。寝転ぶのも起きるのも、瞬間上半身に力が入って腕がキーンなので駄目だった。

そして、折った日から手の甲が浮腫みはじめてたが、更に浮腫んできていた。痛さと、ダルさの両方で辛い。

夕食がきた。勿論左手。ちょっと慣れてきた。白米、ほうれん草、温野菜カレー風味、手羽元の甘酢、パプリカと豚肉チンゲン菜炒め、あげのすまし汁、ほうじ茶かな。少しずつのっていたけど、バランス良く薄味で、私には飽きなく充分美味しかった。そこに明日からの朝食がご飯かパンかを選ぶ紙があり、本来は米派だけどパンにしてみた。薬を出されたが水を持ってきてなかったので明日ついでに持ってきてもらおうとラインする。夕飯のお茶で飲めた。

明日は手術なので、夕食後以降食は禁止。飲み物は明日朝7時までは大丈夫。あまり動かないし喉も渇かないから問題ない。

歯磨きのタイミングで同室のおばさんとちょっと話しを。おばさんは、足の病気らしかった。年越しもここ(病室)だったそうで、クリスマスも正月も寂しかったそうだ。でもちょっとしたおせち料理もでたのよ!と話してくれた。そんな話を聞いて、またカーテン。暇だ。テレビもベッドと平行だから身体を捩らなきゃ見れない。痛いからよじれない。結果見ない。暇だろうと、家から持参したコンビニで買ったナンバークロスをやってみるが、ペン持てずに諦める。スマホも院内フリーwifiとんでなく、無制限でない自分のスマホだから、ゲームも本も気がるに見れない。暇すぎてアルバムフォルダをはじめの方から見るはめに。

10時消灯となるが、横になれないから眠れずひたすら目をつむってやり過ごした。昼夜中関係なく、トイレで何度もナースコールし連れてってもらったりしてる患者さんが、意外に多い事に驚いた。廊下のあちこちから、パタパタパタパタと足音が。ご苦労様だ。夜中看護師さんにライトを当てられたが、なんとなく寝た振りしていた。まぁ、座った状態で寝てるからきになったのかなぁ~と。で、少ーしだけリクライニングを倒してみたら、朝だった。寝れたらしい。

骨折 1日目

紹介状を手に病院へ。

紹介された病院は我が家から徒歩7分ほど。歩いて行こうかと思ったが、昨日の事を考えると30分は確実にかかる、と思い車で一緒に行ってもらう事にした。歩くのも痛い、
車に乗る時屈むと痛いのでひたすらゆっくり。また、ちよっとした段差をタイヤが越える度、思いっきり響く。そしてすこぶる痛い。痛すぎた。

病院に着くと少し待ったが問診。レントゲン、CTそして診察の流れだった。その中で、CTは最強だった。横にならなきゃいけないが、とてもじゃないができません!だ。歩くのさえ慎重にゆっくり動かさないようにしているのに、寝転がるなんて、とんでもない。

“ムリムリ、無理です。”
“じゃ、手伝いますね~ はい、ゆっくりね~”
“ぐぐっ、はぁぁぁぁぁ ふぅむ ぐぐぐぐっ はっ。”

2人の男性技師がえらい力で支えてくれました。自分はもう、丸太状態。変に力を入れれば、腕がもう。でも、力が入るわけで。踏ん張ろうとするわけで。とにかく、この横になるのと、さらに起き上がるのが(勿論再度お手伝いシテイタダク)今まで生きてきたなかでの1番の痛さ辛さだった。痛いというか、“ギャーッ”だ。一瞬で汗がふきでてきた。ついでに、“もう少し腕体に寄せて”と言われたときもあの狭い中で1人格闘していた。“ぐぐぐっ、ぎゃーっ、くーーぅ”と悶絶し、息を詰まらせて。

診察になり、ゆっくりペンギンのようにちょこちょこ歩き、その度に息をはきながら診察室へ。レントゲンをみると綺麗に折れてずれていた。※画像は後程※ 結果、手術をして骨の中に棒芯をいれることに。術日は5日後。いや、待てない。痛い、曲げれない、眠れない。

“それまで、どうやって眠れば?”

そんな質問をしたら、察していただけたのか先生は

“痛そうだね、うーん、よし調整しましょう。明日入院の明後日手術で。で、リハビリを早くはじめましょう”

ありがとうございます、先生、ホントに。という感じでその後、採血、身長体重、心電図をして、麻酔歯科説明、最後入院説明で、病院をあとにした。意外にサインするものが沢山あり、右腕は使えず、荷物も持てずだったから付き添ってもらってよかった。

麻酔は全身麻酔。これで人生3回目。緊急帝王切開声帯ポリープ、骨折。

右腕は長袖インナーの上に部分固定して何か冷たいものを流し込み固めテーピングで腕をぐるぐるまいた応急措置的なもの。だから、てっきり外してしっかりしたギプスを付け替えると思いきやそのままだった。汗まみれの長袖スポーツインナーもそのままに。

薬は昨日の整形外科でもらった痛み止めロキソニンと胃薬。処方された通り朝、昼、夜と3回飲んでいた。効いているのかいないのか何だか、常にズキズキ痛い。たっているのも、座っているのも体勢がきつく眠れず、嫌になる。少し浮腫んできた気がする。けど、とにかく痛い。

“早く明日になっちまえ!”

さぁ、明日は入院。

骨折 当日+

そこからはばたばただった。

“気持ち悪くない?”“熱でてきたかんじは?”
“ない。”
“じゃ、折れてはないね。折れると気持ち悪くなるから”

そんな会話をする。
その間トレーナーは近くの整形外科を探し予約。
友はロッカーから私服の入ったバッグを。
じゃ、行きましょう。てなかんじで、汗たっぷりかいて若干冷え始めたシャツとジャージのまま2、3分程行ったところにある整形外科へ向かう。

右腕は支えないと外れてしまいそうな感覚だった。
指は動いた。感覚もある。少し痺れているような気がするくらい。たまにムニュムニュしている。腕は揺れるだけでも痛い。そっと包むように支えるくらいで精一杯。歩くのもたいへんだった。腕が振れないからちっとも進めない。2、3分なのに10分くらいかかったんじゃないか。

“では、レントゲンとるよ、曲げれる?腕置ける?”
“曲げれない、置けない”
“そうか、じゃ、そのままいくよ。”

“これはね、投球骨折だね。でもどうやって?”
“あー、こうして、あーして、こーなって”
“あー、なるほどね、⚪⚪病院紹介するから明日行って”
“はい”

もしかしての骨折。まさかの大きい病院。
肘を曲げられず三角巾で吊るせなかったので、石膏みたいので型にはめ、何か流し込み、真っ直ぐ伸ばした状態でお会計。勿論、保険証など持ち歩いてないし、お金も1000円くらいしか持ってない。20,990円友よ、立替ありがとう。薬670円かろうじてもっていた。

チャリで来ていたので、荷物とチャリンコも持って友はわが家までつき合ってくれた。徒歩20分位のところ1時間以上かかってしまったのに一緒してくれた。更に着替えれない自分の服やらスパッツやら脱がせニュージャージに履かせて頂いた。はーぁ、ありがとう。

本格的な処置は明日の病院から。
この日リビングのソファーから動けず。立っていても手の血がとまりそうでだるく、ソファーでは横に座り右腕だけたらしたままま座るしかなかった。横に寝転がるなんてとんでもない!!痛すぎてホントに動けない。右腕を真っ直ぐのばしきったままひたすら夜が明けるのを待つだけだった。早く明日になれ。病院行って楽になりたい。あー、明日になれー。でも疲れていたのだろう、うとうとはできた。うとうとだけは。

骨折 当日

そのBジムはメニュー終了後、トレーナーを筆頭に更にきついプログラムを皆“ヒーヒー”言いながらやったりしていた。が、自分は1度も参加しなかった。身体が重すぎてとてもじゃないが、ついていけない。なので、皆を見ながら終わりの柔軟をしたりやってない人とおしゃべりしたりしていた。

しかし、その日は違った。もう少し下半身と上半身が同じように動けば!と思ってメニュー終了後トレーナーに聞いて、教わりながらやりはじめた。

走って~バシ。

1回目。まだコツ掴めず。
2回目。イマイチタイミングが。
3回目。ボキッバキバキバキバキバキ。

“うわっー”

凄い音がした。右腕から。
腕が、肘から下が、あらぬ方向に回っている。
勝手に回ってる。
一瞬、自分の腕が、スローモーションで見えた。
肩が外れたと思った。外れた事などないが
初めての違和感で外れたんだと思った。

“肩が。肩外れた。外れた、入れてっー。外れたー。”

いや、違う。肩は感覚ある。
ボワッとする。持ちあがらない。
腕を見ると、!!!!
上腕の真ん中辺りがムニュムニュ動いている。
!!!細胞がムニュムニュ、ムニュムニュって
動いている!。
なんだこれ。何だこれー。

“ちょっ、触って、見て、動いてる”
“うわっ、ムニュムニュするよぉ”
“ねっ!!!”

そんな会話をしていた。
まだ、アドレナリンがたっぷりでていた。

しかし、次第に。
痛い。動かせない。危険。
咄嗟に

“ヤバい、仕事どうしよう。あー仕事。”

学校の行事で替わってもらったばっかりだったのに。
その代わりの出勤だったのに。スケジュール組み直してもらったのに。来週は無理だろうが、再来週には治るかな。

だらんとした腕を見ながら、そんなことを口走っていた。